知りたい!の源

京大卒の塾講師が感じた様々な事を書くブログ

理解だけでは点は取れない!!

理解力はあり、解説を読んだら意味がわかる。 だけど、テストでは点が取れない。

わりとこういうタイプの生徒がいます。

理解してもなぜ点数にならないのか。

そこに着目できていれば有効な対策にたどり着くはずなのですが、あまりそういう流れにならないようです。量をこなせば解けるようになる、点数=努力という間違った解釈が原因だと推測しています。

実は、理解だけでは点数は取れません。 理解とは、他人の感覚の内容を知っただけです。 理解だけではすぐ忘れてしまいます。なぜなら、自分の感覚になっていないからです。

点数を取るには、その問題文を見たときに「解答作者と同じ気持ち」を感じなければならないのです。 それにはまず、解答作成者が何をしたくなったのか、という視点を持つこと。 そして、じぶんがそれと同じ感覚になるにはどうしたらいいか?と考えること。

ただ、伸びない子たちはここで、「量をこなす」とか「何度も復習する」などと答えます。 なぜ?と考えたくないので、考えるのを避けるクセが身についているのです。

残念ながら、英単語暗記などをみてもわかるのですが、量では記憶に残りません。

そのうえ、量をこなしたり何度も復習するのは、膨大な時間を使ってしまいます。 膨大な「無駄な」時間を、です。

やってほしいことは、イメトレです。 大事なのは数か月後をイメージすること。 昨日の晩御飯も思い出せないのに、数か月後に問題を見たって解き方のほとんどは忘れてる。 だから、ほとんど忘れた前提で考える。これがポイントです。

数か月後ほとんど忘れたとして、どういう気持ちになればこの解答の流れに入ることができるのか?

「問題文のどの言葉やどの状況をキーにして、どんな気持ちを思い出すか。」

〇この言葉ががある。→これをチェックしたい(気持ち)から、こう式変形する。

〇この状況がある。→これがイヤで避けたい(気持ち)から、両辺こうする。

〇この言葉と状況がある。→これを比べたい(気持ち)から、こういう式をたてる。

ここができているかどうかで点数が決まります。

そして、この方法は勉強の効率を飛躍的にアップさせます。 なぜなら、キーは解き方の途中にも現れるからです。

〇問題を解いていったら、途中でこういう状況になった。→これがイヤだから、両辺こうする。

〇途中で、こういう問題と同じキーワードと状況が出てきた→後は全部あの問題と一緒。

といった具合に使いまわせるのです。

こうなればもう楽勝です。 難しいように見えた問題も、実は「新しい部分はほんの少し。」 ほかの子たちが最初から最後までまるまる覚えようとしている横で、新しい部分の「気持ちの理解と感覚の共有」だけに全力を注げばいいのです。

少しの勉強時間で、テストの点数がバリバリとれるようになります。

親御さんにお願いします。 子どもには、なぜだろう?どうなっているのだろう?と考えるクセを付けてあげてください。

子供の問いかけに「答え」を与えてしまっていませんか? なんでだろうね?どう思う?と聞いてあげていますか?

子どもは答えを教えてほしいのではないのです。 自分の力で考えている、その時間を一緒に過ごしてほしいだけなのです。

勉強=感覚を盗むこと。

勉強を暗記だと思っている人がいます。

もちろん、多少の暗記は必要ですが、勉強の本質ではありません。

勉強の本質は、他人の感覚を盗むことです。

例えば、数学でマイナスの数が出てきた時を思い出してください。 教科書では、マイナスの数も今までの正の数と同じ様に、足し算や掛け算などが出来る普通の数扱いをしています。 しかし、羊の数を数えるのには使えない数なので、普通の数として使うためにはそれを普通の数だと思えるまで、感覚を刷り込む必要があります。

また、高校で二次関数が出てきた時、二次関数はVの字のような、放物線と呼ばれる形をしたグラフをイメージする事で、かなりの問題を理解することができます。

こういった考え方は、元はといえば昔の偉人たちが会得した特殊な感覚です。 その感覚を後世の人間、つまり私たちが学んでいるのです。

勉強以外で感覚を理解する場面といえば、言葉を学ぶ時が最もわかりやすいと思います。

一昔前、マジ卍という言葉が突如として現れました。 こんな日本語が存在するのか!と衝撃を覚えたとともに、一体、どういう場面でどの様に使われるのか?と大変興味をそそられたのを思い出します。 しかし、マジ卍の文法的解釈を教えてくれ!と彼らに聞いても、なんの意味もないのは明白でした。 そこに明確な文法があるわけでも、何か既存の言葉に完全に入れ替えられる訳でもありません。 新しい言葉には新しい感覚があるからです。 その感覚を掴まないままでは、痛いおじさんが若者の真似をしているような、不自然な卍の使い方になってしまいます。

勉強も同じです。 昔の賢い人たちが作り出し、今の賢い人たちがもつ、独特の感覚をつかみ、自分のものとする。 これこそが、勉強そのものです。

普段から、他人の感覚を想像し、相手の立場に立って考える訓練を自然としている人は、勉強の時も偉人たちの感覚を比較的楽につかむ事ができます。 ふだん、他人の感覚を想像することが少なく、自分の感覚を変えようとした事がない人は、勉強において大変苦労します。

ここのところ、勉強ができるかどうかはその人の世界観や人生観をそのまま反映しているのではないか、という理論にたどり着きかけています。

「他人と自分は違う人間であり、人それぞれ違う感覚を持っているのが自然」という感覚です。

感覚が違うのが当たり前だから、自分の感覚にを中心にしつつも、他人の感覚に興味を持ち、推測し、理解し、良いと思えば自分に取り込み、じぶんの感覚になるまで実践を繰り返す。

逆に、他人と自分の考えは同じでないといけないから、反発する人を全て敵とみなし、攻撃し、感覚を押し付ける。 もしくは、自分の感覚を蔑ろにし、真に正しい人を見つけたと思ったら盲目的に崇拝する。

これらは、すべて世界観の違いから来ている様に思います。

素直さ(信じる力)と疑う力

理解力がある子を見ていると、基本的にまずは言われた通りやってみよう、という素直さを感じます。大人がわざわざ教えてくれるくらいだからそこそこいい方法なんだろう、と信じる事ができます。

しかし、そこで終わりません。 自分にとって、もっとわかりやすい考え方が他にもあるかも知れない、と疑いはじめます。 それをさがすために、より深く知ろうとするのです。

信じる力と疑う力。 真逆のように感じますが、どちらも同じところから来ています。 それは、 「人それぞれ考え方が違うのが当たり前で、本当に正しいことなんて存在しない」 という世界観です。 考えが違うのが当たり前だから、まずは他人の考えを聞いてみようと思います。 また、考え方は人それぞれなのだから、その考え方を受け入れるかどうかは自分で決めよう思って、自分の頭で良し悪しを考え始めるのです。

一方で、 「絶対に正しいものを誰かが知っていて、それ以外は正しくない」 という世界観の人がいます。 こういう人は、教わったことがちょっとでも理解できないと、その大人が間違っているか自分がアホか、のどちらかになってしまいます。 自分が正しいと思えば、教わったことを一切無視して自分のやり方しか受け付けません。 自分がアホだと思えば、ごまかすために必死に相手をけなしたり、やる気をなくしてどうやってその時間をやり過ごそうかと考えはじめます。

子供に対して 私が絶対に正しい という態度で接していませんか?

子供のまえで他人の悪口を言って 私の方が絶対に正しい という態度をとっていませんか?

もしかしたら、子供の知性に影響してるかもしれません。

いくつ”分”ありますか?

もし、理系の教科に共通する一番大事な考え方は何か?と問われたら、私は 「いくつ"分"ありますか」 だと答えます。

小学校の掛け算割り算から、高校の理系教科の様々な公式まで、ほとんど全てこの考え方の延長です。

「いくつ分ありますか」 さえしっかり理解しているなら、たとえまだ小学生でも高校物理の比熱の公式も理解出来ます。

「いくつ分ありますか」は、「何倍ですか」につながり、さらに「比・比例」につながり、様々な分野の「公式」につながります。 それらは全て「割り算」(=掛け算)です。

そして、「いくつ分ありますか」をしっかり考えると、「基準」の重要性に気づくことができます。

基準の大切さがわかれば、数学や物理などの理系科目で公式を暗記したけど使い方がわからない、なんて無意味な苦労をする必要はなくなります。

賢さとは思いやりの事。

本当に賢い子は、理解力がずば抜けています。 1を聞いて10を知ることができるのです。

それは、なぜでしょう? 答えは、「人を思いやる事ができる」からです。

結論から言ってしまえば、賢い人が話をすぐ理解するのは、話し手の言っている事の本質部分を自分の経験と重ねる事ができ、話し手の気持ちや思考を推測できるからです。

例えば、飼っているペットが亡くなって悲しんでいる人がいるとします。 あなたは、その人の話を聞いています。 そのペットが、イグアナだったらあなたはどうしますか? 「どうしてイグアナが死んで悲しいの?私はイグアナが死んでも悲しくないよ。」なんて言いますか?

イグアナかどうかは大事な要素なのでしょうか? その人は、飼ったペットがイグアナだったから悲しくて、イグアナじゃなかったら悲しくないのでしょうか?

違いますよね? あなたにとって、誰かが死んで悲しい時はどんな時ですか? それは、大好きな存在が死んだ時ですよね?

自分にとって大好きな存在は? その存在が死んだら? そう考えられる人は、悲しい理由をいちいち全部説明してもらわなくても、飼い主の気持ちが理解できるでしょう。

勉強も同じです。 この公式を作った人は、何をしようとしていたのか。 こういった動きをしたくなる時は、どんな時か。 そう考えれば本質がわかります。 さらに、自分の経験の中では何と同じか。 そう考える子は、10まで聞かないでも途中で全てわかるんですね。 リアルな感覚として、理解できるのです。

人を思いやる力と地頭力はつながっています。 他人の考えや思考を、自分の中の感覚に重ね合わせることができる人は、教科書を読むだけで著者の意図を把握し内容を理解できるのです。

ただし、一見思いやりに思える、「人の気持ちを考えろ」という言葉には注意が必要です。 人の気持ちを推測することと、人に合わせることは違うことです。 いいか悪いかを他人に決めてもらう人は、自分の中にあるリアルな感覚を使って物事を理解しようとしません。結果、理解がとても浅くなります。 10を聞いて1を知るタイプになってしまうわけです。

ほとんど人生観に近い話ですが、賢くなるには、いいか悪いかの基準を自分で決める「覚悟」を持つ必要があります。 どうしてそう考るのか、自分で納得できるだけの根拠を持つこと。その覚悟を親御さんが持ってください。強制しなくても、子供は大人の背中を見て勝手にマネするものだと思います。

解説の「読み」方。因数分解編

たとえば、

x^2 +2y^2-3xy-x+3y-2因数分解せよ。

という問題の答えが

 =x^2 -3yx -x + 2y^2 +3y -2

 =x^2-(3y+1)x+(2y^2+3y-2)

 =x^2-(3y+1)x +(y+2)(2y-1)

 =\{x-(y+2)\}\{x-(2y-1)\}

 =(x-y-2)(x-2y-1)

だったとします。

 

これを、目的地に行くために主人公が取ったいろいろな行動だと思ってみてください。

小説を読んでいて、主人公が取った行動の説明がなかったとしたら、どうしてそんなことをするんだろう、と思いませんか?

そして、いろいろ想像したりしませんか?

 

数学も同じです。

=x^2 -3yx -x + 2y^2 +3y -2

 =x^2-(3y+1)x+(2y^2+3y-2)

 =x^2-(3y+1)x +(y+2)(2y-1)

 =\{x-(y+2)\}\{x-(2y-1)\}

 =(x-y-2)(x-2y-1)

という式変形には、この問題を解いていた人の何らかの思惑が表れているのです。

とはいっても、その思惑を探り当てるためにどんなことを考えればいいのかが、わからない場合もあると思います。

ということで、例として、私の場合はどう読むか、を書いてみましょう。

 

まず、一行目

  =x^2 -3yx -x + 2y^2 +3y -2

とあります。

自然と変化したところに目が行きます。問題と並べてみると

x^2 +2y^2-3xy-x+3y-2

x^2 -3yx -x + 2y^2 +3y -2

見比べていると

  -3xy-3yx 

が気になります。

そのときの私の頭の中を書いてみます。

 

どうして解いた人はこの順番に並べたんだろうなー。

-3yxだと、アルファベット順じゃなくなってるけど、yが前に出てるのはなんで?

てか、掛け算記号\timesを省略してまとめて書いたとき、どんなのを前に出すんだっけ?

数字?数字はたしかに前にかくな。

例えばx \times 3 3x みたいに。

それ以外だと、\piみたいな数字の仲間の文字も前に出すな。

例えば、 x \times 3\times \pi 3\pi xだった。

まあ、数字には負けてるけど。

なんか、yくん、\piと同じような扱い受けてる・・・。

 

そういや、似たようなこと、つい少し前のページでやったな。。

一つの文字だけをえこひいきして、ほかの文字は全部 \piみたいに扱うやつ。

なんてったっけ?まあ、名前なんてどうでもいいか。

 

=x^2 -3yx -x + 2y^2 +3y -2

これ、xだけちゃんとした文字で、yは数字の仲間の文字扱いってことなのかな。

だとしたら、2y^23yが後ろにいってるのもわかる。

 

 

ああ、そういやxについて降べきの順に整理、とか言うんだっけ。長いから、降べきでいいや。

てか、降べきはいいんだけど、なんかすぐ下にx無い問題とかもあるんだけど。

必ずxってわけじゃないのか。

そういや、文字はyもあるのに、解いた人はなんでx選んだんだろう?

今のままだと、テストで文字変わっただけで解けなくなるな。

このまま理由を理解しないでテスト受けたら終わりだ。←ここ重要!!

何とかして、解いた人がxを選んだ理由を考えないと!!

まあ、何問か解いてから考えるか。。

とりあえず、次の行、いこ。

 

って感じです。

さて、次は

 =x^2-(3y+1)x+(2y^2+3y-2)です。

ここもやはり変化を見ます。心の中を書いてみるとこんな感じ。

 

 =x^2 -3yx -x + 2y^2 +3y -2

 =x^2-(3y+1)x+(2y^2+3y-2)

やはりxでくくってきたな。どうやら、降べきという予想は当たってるみたいだ。

でも、なんで、降べきなんだろう?←ここも重要!!

一か月もしたら、この問題見て「降べきを使う!」なんて、オラぜってぇ覚えてねぇぞ。

毎月毎月、それを思い出すだけのためにこの問題を復習するなんてそんなのぜっっったい無理!!

解いた人が降べきを使ってる理由がなんかあるはずだ。

それを考えとかないと、復習のし過ぎで死ぬ!

復習、イヤ、ゼッタイ・・・。

 

でもまあ、とりあえず次いこ。

 

=x^2-(3y+1)x+(2y^2+3y-2)

=x^2-(3y+1)x +(y+2)(2y-1)

なんか、後ろのやつらだけ因数分解されたんですけど????

なんで、そこだけ因数分解なんかしたんですか?解いた人。

何のために??なにゆえ??

さっぱりわかんないから、続き見てヒント探すか。

 

 =x^2-(3y+1)x +(y+2)(2y-1)

 =\{x-(y+2)\}\{x-(2y-1)\}

お?急に因数分解が進んじゃいましたよ?

(y+2)(2y-1)がわかれて、別々にxの後ろについたし。

ここ、一番よくわかんないな。

よくわかんないときは、わかるところまで戻るか。←ここ重要!!

とりあえず、(y+2)とか (2y-1)塊のまま動いてるみたいだから、見やすいようにABに置き換えたやつを紙に書いてみるか。

 =x^2-(3y+1)x +A\cdot B

 =\{x-A\}\{x-B\}

ああ、これあれですか?

 =x^2-7x +3\cdot4

 =(x-3)(x-4)

のやつ。

文字だとややこしくても数字まで戻ったらわかりまっせ!←こことっても重要!!

数字なら =x^2-7x +3\cdot 4の直前は=x^2-7x +12だったはず。

んで、かけて12、足して-7になる数字考える。

その結果、3と4。まあマイナス付けないといけないけど。

つまり、

 =x^2-7x +12

 =x^2-7x +3\cdot 4

 =(x-3)(x -4)

解答のは

 =x^2-(3y+1)x+(2y^2+3y-2)

 =x^2-(3y+1)x +(y+2)(2y-1)

 =\{x-(y+2)\}\{x-(2y-1)\}

てことは、もしかして

=x^2-(3y+1)x+(2y^2+3y-2)

=x^2-(3y+1)x +(y+2)(2y-1)

 もそれか!

解いた人は、かけたら2y^2+3y-2、足したら -(3y+1)になるやつ考えようとしたのか。

だから、2y^2+3y-2を掛け算の形に書き換えようとしたわけね。

んで、それが因数分解したように見えてたってことか。

見えてたどころか、掛け算の形にするんだから因数分解そのものか。

 

だとすると、結局、この問題も簡単な2乗の因数分解と考え方は同じか。

xで降べきをすれば、主人公格の文字がx 1つに見えて、

 =x^2-7x +3\cdot4

 =(x-3)(x-4)

 と同じ考え方を使って進んでいけるってことね。

かしこいね、解いた人!んでもってそれを解き明かしたオレも!!←たくさん自分をほめましょう。

 

おし。これで、毎月、手順暗記のためだけの復習をしなくて済むぞ!!!

1か月後にこの問題をみても、そもそも自分ができる因数分解が文字1つの

 =x^2-7x +3\cdot4

 =(x-3)(x-4)

の形だけなんだから、一つの文字に注目しやすくなる「降べき」をしたくなるもんね。絶対。

助かったーー!!

 

 ん、まてよ。なんで、xなんだろう問題が解決してない。

よっしゃ!

感じの違う問題を何問か解いて、それだけ考えるぞ!

まってろよ、解いた人、いや解答キッド!

ぜったい捕まえてやるからな!

 

 

と、まあ、かなりおふざけが混ざってますが、実際、頭の中はこんな感じでした。

 

大事なことは、「絶対的な正解は存在しない」という考え方です。

だから、まる暗記せずに自分で解釈し直してみるのです。

このことは、別の機会にすこし書いてみようと思います。

小説数学という勉強法

数学の解き方をモノにするには、心の動きを把握する事が大事です。

 

数学の解説を小説の様に読む!

 

これが出来るようになれば、授業を聞かなくてもどんどん点数が上がります。

 

 

まず、高校数学の勉強法の意外と知られていない結構大事なことがあります。それは、わからなかったら早めに答えを見ることです。

 

答えは地図に似ています。

 

例えば、初めて行く土地で、とある目的地に行く時、地図を見ないでいく、という人はあまりいないと思います。

子供の頃から探検が大好きで、いつも最初は自分の力だけでチャレンジしてみる!という人なら、もしかしたら、見るべきポイントや探すべき目印なんかが大体わかる、なんて事があるかもしれません。

 

しかし、普通の人は、迷いに迷った挙句、スタートのすぐ横にあった目的地にたどり着くのに丸一日を費やして、ひどく時間を無駄にした気分になるだけだと思います。

 

高校数学の答えも同じです。

 

こういう道順でいけば、最短でいけるよ!と書いてあるのです。

 

それなら、テストのために、1問ずつ道順を全部暗記すればいいんだね!

でも、問題数が多すぎるから、とてもそんなの無理!!と思った人もいるかもしれません。

もちろん、あの量を全部暗記する、なんてことは人間には無理です。それに、結局、少しでも違う問題には全然使えないので、道順の丸暗記なんてのはそもそも、まるっきり無駄な努力です。

 

じゃあどうするのか?

実は、そこで、気持ちを読む事が大事になってきます。

地図じゃなく、小説の主人公が辿った道順だと思って読むのです。

 

なぜ、ここで、左に曲がりたいのか?

なぜここで、トンネルの下をくぐりたいのか。

なぜここで、道を渡りたいのか。

 

小説の場合は、道順の曲がり角などの各ポイントには、そこを曲がる理由があります。

例えば、大通りに出たいとか、煙突が見える位置まで移動したいとか。

 

ただ闇雲に曲がっているわけではないのです。

 

最短で目的地に行き着いた主人公も、全ての行動に理由があります。

 

数学の解説も同じです。全ての行に目的や理由があります。

ただし、数学の解説には、気持ちの部分はほとんど書かれていません。

 

 

なぜ、最初にその式を立てたくなったのか。

なぜ、その式変形をしたくなったのか。

何を避けようとして、この解き方をしようとしたのか。

 

一つ一つの行動の理由を自分なりに想像する必要があるのです。

文中に書かれていない作者の意図を問う、小説の問題のように。

 

どの教科でも同じですが、解法を自分のものにするためには、その解き方や考え方の「心の動き」を捉えること。これがとても重要です。

 

理系が得意な人は国語も得意な人が多いです。それは、理系が出来る人は、言葉→映像化の力が優れているだけでなく、その上でもう一つ、心の動きを「読む」事ができるからなのです。言いかえると、答えの各行の気持ちを想像し、共感し、テストの際に自分も同じ気持ちになる事が出来るのです。

 

次回は、実際に一問「読んで」みます。