割合なんて必要ない❗️
小学校では割合というものを習いますが、最近、割合という言葉は全く必要ないと思うようになりました。
結論からいうと、割合とは倍率の一つの形であり、結局のところ基準としている量のいくつ分あるか?を「数えている」に過ぎない、という事です。
そして、割合の理解は単に「数え方の拡張」で済んでしまうのです。
という事で、まずはふつうに数えることから始めます。
皆さんは、数を数えることが出来ますね。
犬や猫、コップや歯ブラシ、えんぴつや消しゴムなど、一つ一つ形があって、くっついて一つになったりしないものを数えるのは当然できると思います。
では、水の量を数えることが出来ますか?
最初の数え方の拡張は、まずここからです。
形がなく、くっつけて一つになったり、一つのものをバラバラに分けたりできる物の量を数える時、今までの数え方ではうまくいきません。
2つのコップに入った水を2つと数えると、厄介なことが起こります。2つあるはずの水をくっつけると2つではなく1つになってしまうのです。 また、大きなコップに入った水を1つと数えたとしても、小さなコップに入れなおすと2つ、3つと数が増えてしまいます。
これでは数えたことになりません。
そこで、数え方を広げることにします。
ある量を基準として決めてしまって、その量がいくつ分あるか?というふうに数えることにするのです。
水を数える時は、一つのコップを基準にして、そのコップ何杯分あるか?と考えるのです。
これで、水の様な、くっついたり分かれたりする物を数えることができるようになりました。
この考え方を使うと、ヒモやロープなどの長さも数えることができます。
ある長さを基準にして、それがいくつ分あるか?と数えるのです。
さて、これで数えられるものが増えましたが、同時に厄介な問題も発生する様になりました。
それが、「ちょうどじゃない」問題です。 水などの大きさが自在に変化できるものは、基準で測ろうとしても、最後は少し足りなかったり、余ったりするのです。
そこで、また数え方を広げます。 ちょうどにならない場合、基準を分けて小さくして数えることにするのです。
例えば、コップ1杯分より少なくて数えられないとします。仕方がないので、コップ満タンを4つに均等に分けた量を小さい基準にしてみます。すると、その基準3つ分になったとします。「基準を4つに分けた量の3つ分」なので、これをコップ「3/4個分」と数えることにします。
もしくは、コップ満タンを10個に均等割りした量の3個分をコップ「0.3個分」という感じに数えます。
これで、基準を決めて数えるとき、中途半端になってしまう量も数えられるようになりました。
※「基準を決めてそのかたまりを使って数える」という考え方は、実は算数だけでなく中学高校の数学や理科につながる理系思考の柱です。この考え方をしっかり使えるようになって下さい。
さて、基準を決めてそれを使って数える、という考え方は、形がない物にしか使えないのでしょうか?実は、形がある物にも使えます。
例えば、りんごを箱詰めする時などです。
りんごが5個入る箱に、リンゴを詰めていくとします。 今回の基準はりんご「5個」です。 今りんごが15個あるとしましょう。 何箱作れますか?
りんご5個を基準のかたまりとして、その基準のいくつ分あるか?を考える事になります。
答えは、箱3つ分ですね。
では、箱がなかったらどうでしょう?
リスはりんごを5個持っています。 クマはりんごを15個持っています。
クマのりんごの数は、リスのりんごの数のいくつ分ですか?
これもさっきと全く同じで、りんご5個をひとまとまり(基準)として、それがいくつ分あるか?と考えます。
クマのりんごの数は、リスのりんごの数の3つ分ですね。 この事を、クマのりんごの数はリスのりんごの数の3倍、といいます。
「〜倍」は、基準を決めてそれで数えています。
さて、箱の話に戻りますと、15個のりんごは5個のかたまり(基準)で数えると、3箱分だと言いましたが、15と5からどのような計算をして3を出してきたのでしょうか?
一つの考え方は、足し算です。 5個を2箱分、3箱分、と増やしていって3箱分で15個!と考えるわけです。
5を何度も足す事になりますが、同じ足し算を繰り返すのは、掛け算でまとめてできます。
また、引き算で行うこともできます。 15個から5個のかたまりを繰り返し引けるだけ引くと、何回引けるか?と考えるのです。
そして、「繰り返し引くと何回引けるか?」というのはまとめて行うことができます。そう、割り算です。
「基準のかたまりを決めてそれで数える」というのは、掛け算や割り算の考え方そのものです。
さて、さっきと同じような問題をまた考えてみましょう。 リスがりんごを5個持っています。 クマがりんごを17個持っています。 クマのりんごの数は、リスのりんごの数のいくつ分(何倍)ですか?
おっと、これは困りますね。 ちょうどじゃないですから。
でも、ちょっと待って下さい。ちょうどじゃない問題は、解決方法をさっき作りましたね?
さっき、水のようなものを数えるために基準を決めて数えました。もし丁度じゃなかったら、小さく分けた基準で数えて、その代わり3/4個分や0.3個分、などと書く事にしたんでした。
今回も、この方法を使いましょう。 クマのりんご17個は、リスのりんご5個のかたまり3つ分(3倍)と残り2個ですが、残り2個はどう数えましょうか?
5個のかたまりでは数えられないので基準のかたまりを小さくしましょう。 基準の5個のかたまりを5つに分けて基準を1個にしたら、りんご2個は小さい基準(1個)の2つ分ですね。基準を5つに分けた2つ分なので、2/5ですね。
ということは、クマのりんごはリスのりんごのかたまり3つ分とさらに2/5ある、と言えますね。
最初から基準を小さくしておく場合も考えておきます。
基準の5個を5つに分けて1個を小さい基準にします。1個を基準にして数えると17個は基準の17個分なので、クマのりんごはリスのりんごのかたまりを5つに分けた分の17個分、つまり17/5倍と言えますね。
("3と2/5"は17/5と同じ大きさです)
最後に、基準を決めてそのかたまりで数える、という時に現れる大事な要素を紹介しましょう。 それは、数の連動です。
りんごの箱詰めを考えます。 ここには3つの数字が出て来ます。
①箱一つに入れるりんごの数
②りんご全部の数
③箱の数
一箱にりんごを3個ずつ入れるとして、りんごが全部で12個あれば、箱の数は4つです。
①3個ずつ
②りんご12個
③箱4つ
もし、①箱に入れるりんごの数はそのままで、②りんごの数を2倍の24個に増やすと? ③箱の数も2倍の8つになります。
①3個ずつ(固定)
②りんご24個(2倍)
③箱8つ(2倍)
②りんごの数と③箱の数は連動し、りんごが2倍、3倍になれば、はこの数も2倍、3倍になります。 (このような連動を比例と言います)
もし、②りんごの数はそのままで①箱に入れるりんごの数を2倍の6にすると、③箱の数は2つになります。
①6個ずつ(2倍)
②りんご12個(固定)
③箱2つ(1/2倍)
①箱に入れるりんごの数と③箱の数は連動し、入れる数が2倍、3倍になれば、箱の数は1/2倍、1/3倍となります。 (このような連動を反比例といいます)
こういった数の連動は他にもたくさんあります。
例えば、蛇口をひねって水を出して、出てきた水をコップに入れて数えていきます。 10秒でコップ一杯分出て来ました。続けると、20秒でコップ2杯分、30秒でコップ3杯分。。。 秒と水の量は連動しています。
このように、比例型や反比例型の連動はいろいろな所に出てくるのですが、この数の連動のイメージは、「基準を決めてそのかたまりを使って数える」に慣れていれば、すでに当たり前になっています。
そして、この比例の理解こそが、中学高校の数学・理科の背骨なのです。
理系に進むならマスターしておくべき事。
高校の理系の科目すべてに共通して必要な力を一つ挙げろと言われたら、何だと思いますか?
以前にも少しだけ書きましたが、私は「基準の何倍か?という感覚」だと答えます。
ほとんどの公式は、基準の何倍か、と考えるだけで理解できるからです。
何倍か?なんて、誰でもできる!と思った方もいるかも知れません。 しかし、かなりの人が出来ていないのが現状です。
次の問題にどこまでこたえられますか?
1)6は2の何倍ですか?
2)120cmは100cmの何倍ですか?
3)1は3の何倍ですか?
4)下の長さは上の長さの何倍くらいですか?
5)図の上の線を長さが2/5倍になるように切ります。切れ目を入れる位置を指で示してください。
6)図の下の線の長さを1.1倍になるように右に伸ばします。どのあたりまで伸ばせばいいか指で示してください。
7)200円の1.1倍は何円ですか?
それでは、問題の意図を説明しましょう。
1)が答えられる人は、整数倍が理解できています。
2)が分かる人は小数の倍率を扱えています。
3)が分かる人は分数の倍率を扱えています。
4)~ 6)が分かる人は倍率の実際の感覚を理解しています。
7)はおまけです。
~倍なんて簡単!と思うかもしれませんが、常識でわかる範囲を超えてよく理解しておくべき部分は意外と多いです。
とくに4)~6)のように、感覚として~倍があつかえることが大事です。
公式の意味を考えよう!
公式は実は、この~倍という感覚があれば、ほとんどのものは覚える必要がありません。
例えば、四角形の面積の公式。
縦×横=面積
たて、かける、よこ、イコール、めんせき
これはいったいどういう意味なのでしょうか?
これは、虎とライオンを掛け合わせて生まれた動物をライガーと呼ぶ。というような意味なのでしょうか??
ということは、縦と横を掛け合わせた子供は面積???
もしかして、縦と横を鍋に入れてぐつぐつ煮込み、最後にイコール!と叫ぶと、面積ができる??
さっぱり意味が分かりませんよね。
公式をそのまま日本語のように読むことが、理系から脱落する第一歩です。
公式だけでは意味は理解できません。もっと具体的に見たいので、実際の例を考えてみます。
問題)縦2cmで横3cmの長方形の面積は何㎠でしょうか?
公式は、基準の何倍か?を示している。というのを思い出してください。
実は、絵で見てしまえば簡単です。
縦1cm、横1cmの青い四角を「基準」にします。
やることは、「この横長の長方形の広さは、基準の何倍でしょうか?」と考えるだけです。
縦は2列、横は3列なので、2×3の6個分ですね。基準の6倍です。
~倍の本質は基準です。
「基準」は何なのか?をきちんと意識しましょう。 そうすれば、公式というのは単に当たり前のことが式にまとめられているだけ、ということに気づけます。
縦×横=面積
この公式の本質は、縦1cm横1cmの正方形の面積を1㎠(基準)と「決めた」ことにあるのです。
1㎠の6倍なので、長方形の広さは6㎠ですね。
基準を意識すると、~倍は一気に具体的にイメージできるようになります。
具体的なイメージを持ちながら~倍を扱っていけば、片方が2倍になったらもう片方も2倍になる、というような比例の感覚も簡単につかむことができます。
あなたが習った公式はいったい何を「基準」にしているのでしょうか? ぜひ、考えてみてください
「自分が一番大事!!」でどんどん伸びる
時間はあるのに勉強が全然進んでいかない。 こういうタイプの生徒がいます。
疑問を持ったり理由を考えることが出来ていて、あとは量をこなせば伸びる。なのに、なかなか手をつけられない。 ずっと、どうすればうまくいくのか?どのやり方が正しいのか?と悩んでいるのです。
話を聞いているうちにある事に気づきました。 それは、アクセルよりブレーキが強いという事です。
アクセルとは、欲望や感情のことです。 ブレーキとは、客観性や理性と呼ばれているものの事です。
欲望と客観性、感情と理性はたいていの場合、対立していると捉えられています。 欲望は悪く、理性は良い。 悪い欲望を良い理性で抑えなければならない、と。 しかし、これは単純すぎる考え方です。
欲望や感情は、実は原動力として、とても大事なものです。
もし食欲が存在せず、お腹が空かないなら、逃げ回るウサギをわざわざ必死になって追いかけるライオンはいるでしょうか? したいという気持ちがあって初めて、重い腰をあげられるのです。 欲望は、大事な大事なアクセルです。
それに対して、今は客観視というものがもてはやされすぎていると感じます。
ある出来事をいろんな視点から考えることは、論理的思考のとても大事な要素です。 これが賢さを決めます。
しかし、自分を客観視する、つまり自分の中に想像上の他者視点を作り、その視点から自分を見定める、というに事は、実はデメリットが存在します。 それは、自分の欲望と異なる結論が出てしまうと、欲望のエネルギーを失う、ということです。 簡単に言えば、ブレーキなのです。 良いか悪いかを他人視点で判断する人は、常にブレーキを踏んでいるのと同じです。
車を運転できる人は、運転する時、アクセルとブレーキ、どちらを踏んでいる時間が多いか、考えてみてください。 ブレーキは、他者とぶつかりそうな時や、慎重に進みたい時、一旦止まりたい時など、進み方を調整したいときに用いるだけです。 運転の基本はアクセルです。
人間も同じです。 何かを成し遂げようと進んでいくとき、最も大事なのは自分の欲求です。 そのまま進むと他人と衝突する!という時や、少し進み方を調整したい、一旦立ち止まりたいという時に初めて他人目線というブレーキを使って、考え方の違いを調整すればいいんです。
普段は「自分がどう感じるか?」を最も大切にする。そして、他人と意見が異なった時に初めて、ブレーキをぐっと踏み込んで他人の視点を想像し、相手と交渉しながら最低限折り合える所をさがす。 そして、他人視点を取り込んだ時に気づいた事によって、自分の感覚が少しずつ変わってゆく。
勉強も同じです。 そうやって普段は自分の感覚をベースにしつつ、他者の視点を想像して、その感覚を自分に取り込める人だけが、どんどん伸びていきます。
他人は他人。他人の心なんて完全にわかるものではありません。 自分の中の他人視点は残念ながらどこまで行っても自分の想像なのです。 そんな想像の他人に判断基準を頼ってブレーキをガン踏みするより、自分の欲望を大事に育てて、自分の感覚を基本としながらアクセル全開で爽快に飛ばしていきましょう!
欲望は大事なアクセルです。 あなたは、なにをしている時が楽しいですか? どんな人になりたいですか?
あなたのアクセルは何ですか??
お子さんのアクセルは何ですか?
遊べば遊ぶほど賢くなる遊び方。
勉強ができるタイプの子は、要領がよく、なんでもすぐできるようになる事が多いです。
この要領の良さはどこからくるのか? 結論から言うと、遊ぶことで身についたのです。遊びで身についたやり方を、勉強にも使っているだけです。
しかし、ただ遊べばよい、というわけではありません。
遊び方には主に二つのタイプがあります。 ひとつは、決められたルール、与えられた目的をそのままこなす遊び方。こういう遊び方では、一瞬で飽きます。やったことがないので一応やってみるけど、ほとんど続かないです。一瞬で刺激がなくなるので、次々と新しいものを欲しがります。
もうひとつは、自分のやりたい事を実現しようとする遊び方です。これこそが賢くなる遊び方です。むしろ、学びそのものです。 自分がやりたいのだから、すぐ飽きたり、簡単に諦めたりしません。
では、遊び方の違いはどこからくるのか? それは、自分で決めて自分で工夫する事は良い事だ、という考え方に触れてきたかどうかです。
やりたい!と子供が言った時、ダメ!ムリ!という否定だけでは無く、どうすればうまくいくと思う?という言葉が続くと、子供には応援されている事が伝わります。欲を言えば、失敗させてあげられる余裕があれば、失敗させてあげて欲しいです。
失敗をした時、ここまではうまくできてるね!次はどうすればうまくいくかな?と、さらに尋ねてあげてください。 失敗したらもうすべて終わりなのではなく、まだやってもいいと伝われば、またチャレンジします。そのうち、うまくいくためには、何を失敗から学べばいいかがだんだんとわかってくるでしょう。そして、色んなことに挑戦するようになれば、新しいことでも最初から何に注目すればうまく行きやすいかがわかってしまう時が来ると思います。 もちろん、子供と落ち着いた会話が成立する関係である事が前提ですが。
まとめると、要領の良さは、やりたい事を実現しようと工夫するのは良いことだと知っている証なのです。
「真面目に」勉強してはいけない!
勉強しているとき、 「真面目にやりなさい!」 と言われた事ありませんか?
実は、多少おちゃらけることは勉強する時にとても大事です。 楽しくないとそもそもやりたくなくなるからです。
ぐんぐん伸びるためには、勉強は真面目にやるのではなく「真剣に」やらないといけません。
どっちも同じじゃないか! という声が聞こえて来そうです。
でも、本当にそうでしょうか?
それぞれの言葉を「遊ぶ」につけた時、どんな感じがしますか?
○真面目に遊ぶ
○真剣に遊ぶ
真面目と遊ぶは、なんだか合わないですよね。真面目ってなんか楽しくなさそうです。
それに対して、「真剣に遊ぶ」って本当に楽しそうじゃないですか??
勉強に必要なのは、「真剣に遊んでいる」時の真剣さです。 けっして、机に向かって黙々と「真面目に」作業をこなす事ではありません。 子供が「真面目に」勉強し始めたら黄色信号です。将来の伸びはあまり期待できません。
真剣に遊べる子供だけが、「真剣に」勉強する感覚を身につける事が出来ます。
子供が何かにこだわって1人で何時間も1つのことを遊び出したら、喜んであげてください。 何時間も同じ遊びをしている時、実は自分で工夫して遊びを変化させています。 目標を自分で設定したり、独自ルールを決めたり。 そうでないとすぐ飽きてしまうのです。 遊びを工夫する、もっと言えば遊びを自分で作る力は、そのまま勉強に集中する力になります。
自習=チャンス!!
外出自粛が続いていますね。 学生の人たちも、学校や塾がなくなって、自習している人が多いと思います。
自習とは、自分でする特殊な勉強という意味の言葉ですね。 けれど、その考え方自体がかなり危ういと感じます。 勉強は本来、自分でやるものだからです。
ギター教室に通おうが通うまいが、家で自分で練習しなきゃギターが上手くなるわけがありません。 ギターを上手くするのは、ギター教室の先生でもギターの入門書でもなくて、自分で弾いている時の工夫や発見です。 ギター教室は、集中しやすい空間や丁寧な指導、上手い見本や楽しい仲間といった、あくまでも補助の部分です。 補助だけあっても、自分で練習しない人は当然上手くなりません。
勉強も同じです。 学校や塾はあくまで補助。参考書を見ながら自分で工夫したり発見したりする時間を取らないと、当然上手くはなりません。
しかし、逆に言えば、今はほとんどの生徒が本来の勉強の仕方で勉強しているとも言えます。 誰にも教わらないからこそ、自分で考え工夫しながらギターを引く感覚を知るチャンスなのです。
解答を見てからが勝負!!
勉強の世界には、初見信仰というものがあります。
入試問題が初見である限り、初見で問題を解ける力を付けなければならない。
という考え方です。
これを間違って解釈した結果が、学校で指定問題集の解答を配らない、という愚かな慣習です。
問題を自力で解いてみることは実力のチェックにはなります。しかし、解く力の向上方法としては圧倒的に効率が悪いです。
実際は「解答を見てからが勝負」です。
解答は、写すためにあるのではありません。 暗記するためにあるのでもありません。 慣れるためにあるのでもありません。
解答は、「見本」です。
最終的に解答用紙に書き込むべき言葉と式の見本です。 これだけ書いてれば入試で点数がもらえるよ、という見本なのです。
どうしてその形になるのか? 一番大事な理由部分は、解答には全く書かれていません。 入試の時に書く必要がないからです。
けれど、解法の考え方を理解する上では、なぜそう解くのか?の方がよっぽど大事です。
本来しなければならないのは、「見本」を見ながら、どうしてそうするのか?を考える事です。 これを「勉強する」と言います。 これ以外は勉強しているとは呼べません。
もし、頑張って暗記してしばらくして完全に忘れて、また頑張って暗記してを繰り返しているなら、それを「苦行」と呼びます。 賽の河原と同じです。
また、問題の解法を本当に理解するには、周辺知識が必要です。
手順には、その部分ではなく先の手順の為に行っていることが多くあります。わからないままとりあえず先に進んで、そこにたどりついて初めて理解できます。
料理で言えば、なぜニンジンから入れるのかはしばらく煮てみて、初めて理解できるのです。 なぜ皮に飾り包丁を入れておくのかは、火を通した時に初めてわかるのです。
2人前の料理のレシピを完璧に丸暗記している人がいたとします。もし、その人が3人前を作ろうとした途端、料理が生煮えになってしまったとしたら?? そして、3人前のレシピを一生懸命また丸暗記し始めたとしたら。。。
たぶん、一生、料理はうまくならないだろう、と思いませんか? 勉強も同じです。
レシピを見ずに初見で作っても料理は上手くなりません。 レシピを見て覚えるだけでも、料理は上手くなりません。 レシピの手順が上手くできるようになっても、他の料理につながる知識は付きません。
レシピの手順ひとつひとつについて、何故そうするのかを考えて初めてその手順の目的が分かり、他の料理につながります。
そうすれば、初見の分量や素材でもうまく料理できるようになるのです。
入試で必要なのは、こっちの初見力です。