知りたい!の源

京大卒の塾講師が感じた様々な事を書くブログ

「動物園」に必ずいるのは?(想像の後回し力)

あなたは動物園を知っていますか?

 

知っていますよね。

 

 

では、

動物園に必ずいるのはなんでしょう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、「動物」です。

 

 

 

ええ、当たり前です。わざわざこんな質問をしたのは、数学のなどの抽象思考について行けなくなる理由を体感してもらうためです。

 

この質問をされた時、大抵の人は何か具体的な動物、例えばライオンとかゾウとかパンダとかを思い浮かべたのではないでしょうか。

 

もちろん、狙って質問しているので、何かを想像したらダメ、難しい話が出来ない、と言うわけではありません。

 

実は、動物という言葉は抽象概念です。

実際に動物と名がついた生き物がいるわけではありません。

 

ライオンか、キリンか、ゾウか、パンダか、鹿か、、、。

のうちのどれか。

という意味の言葉です。

 

動物がいます。の段階で、具体的なイメージを膨らませ過ぎてしまうのが、難しい話(抽象的な話)を理解できない理由のひとつです。

 

今回の場合は、より具体的に想像してもらうようにわざとイメージが具体的になりやすい、動物、という言葉を選びました。なので、当然、具体的に想像してしまったと思います。

 

実は、抽象的な思考をするためには、具体的な内容を決めるのを後回しにする必要があります。

誤解をして欲しくないのは、具体例を思い浮かべてはいけない、という意味ではありません。

ライオン、キリン、ゾウなどなど、知っている動物全ての可能性がある。という事を気にしつつ、とりあえず、黒い影の塊?くらいを思い浮かべて、そいつを使う、という想像の後回しが必要なのです。

 

 

そして、動きが上手くイメージ出来なくなったら、それがライオンだったら、ヒョウだったら、などと具体例で確認する。

 

そして、納得したら、また黒い影に戻して考えていく。

 

中学の数学でxやy などの文字に悩まされた人は、実は、想像の中で黒い影を使うのに慣れていないのです。

 

つまりは、コナンの犯人くんです。

比べるおはなし

どうぶつの学校ではどうぶつの子どもたちが楽しく遊んでいます。

ライオンのレオくん、チーターのしゅんくん、

ラッコのまりんちゃん、パンダのひまりちゃん。他にもたくさんの子どもたちがいます。

ある日、ライオンのレオくんとチーターのしゅんくんが言い争いをしていました。

 

レオくんは、俺んちの方が速い!

しゅんくんも、おれんちのがはやいの!

と、どっちも自分の方が速いとゆずりません。

 

そこへ、イルカのそらちゃんが通りがかりました。

なんでケンカしてんのー?

まわりにいた子たちが口々に説明します。

 

こないだ、テレビで車の映画があったんだってー。

 

そそ!そしたら今朝レオが、この中だったら俺んちの車が一番はやいな!って言い出して。。

 

そしたらしゅんが、いや俺んちのだろ!って

 

そうそう!そっからずっとこんな感じー。

 

ふーん。そーなんだ。

そらちゃんは、結局の所どっちがはやいのか、少し興味がわいてきました。

 

で、どっちがはやいのー?

 

すると、レオくんが言います。

俺の車はこないだ駅まで走って12分だった!

 

そしたら、しゅんくんも、

それなら、俺んちのは駅まで3分だったし!

 

なら、しゅんちの車かぁ!

 

みんな、しゅんちの車の方が速いのかな。。ってなり始めたとき、キリンのみおんちゃんがいいました。

 

てか、レオの家って駅から遠いよね?たしか6キロくらい?しゅんちは2キロ?

 

あ、そっかー。なら、レオかー!あれ?でも、しゅんの方が時間短いし。

 

えと、レオんちのは6キロを12分でしょー?

しゅんちのは2キロを3分だよね?

だからー、あれ??

 

みんな、よくわからなくなりました。

おしまい。

 

 

 

 

 

 

 

答え出さへんのかいっ!

というツッコミは一旦置いておいて、こんな時、どうやって速い方を決めたらいいんでしょうか?

 

もし、走った距離が同じで、どちらも6キロだったら簡単ですね。同じ距離を進むのにかかった時間が短いしゅんの家の車の方が速い、ですよね。

 

もし、2人のかかった時間が同じで、どっちも12分だったとしたら。こっちもかんたん。同じ時間で長く走ったレオくんの家の車の方が速い、ですね。

 

でも、距離も時間も違う。

 

どうやって比べますか?

 

 

 

そう!

違うなら、同じにしてしまえばいいんです!

走った距離を合わせてもいいし、走った時間を合わせても、どちらでもいいんです。

 

まずは、走った距離を合わせることにしてみましょう。あとで、時間を合わせるのもしてみます。

 

 

しゅんくんちの車は駅までの2キロを3分で走りました。レオくんちの車が走った6キロに合わせてみましょう。

しゅんくんちの車だと、6キロは何分かかるでしょう?

 

2キロを3回繰り返したら6キロ動いたことになりますよね。

そしたら、かかる時間も3回分になります。

ということで、しゅんくんの家の車は6キロ動くと3分の3回分、つまり9分かかります。

 

レオくんの家の車だと6キロ動くのに12分でした。

 

レオくんちの車は6キロ12分。

しゅんくんちの車は6キロ9分

 

 

そう!速いのは、しゅんくんの家の車ですね。

 

もうひとパターン。

もし、時間を合わせるとしたら。

 

もう一度思い出しましょう。しゅんくんちは2キロを3分でした。レオくんちの車は6キロ12分。今度は12分の方に合わせてみます。

 

3分は4回分繰り返したら12分になります。

その間に進んだ距離も2キロの4回分で8キロ。

 

レオくんちの車は12分で6キロ。

しゅんくんちの車は12分で8キロ。

 

 

やっぱり、しゅんくんの家の車の方が早いですね。

 

こんな風に、速さを比べる時は、時間か距離を揃えないと比べられません。

しかし、毎回毎回、時間を合わせるか距離を合わせるのかを考えるのはめんどくさいですよね。

なので、昔の偉い人達は話し合った結果、速さを比べる時は時間を合わせる事に決めました。

 

 

さらにもう一工夫。

毎回何分に合わせるかを決めるのもめんどくさいので、1番基本の1分(か1時間か1秒)に合わせる事にしました。

そうすれば、2分なら走った距離を2で割る、5分なら走った距離を5で割る、のように、時間の数字をそのまま使って割り算すればいいから頭を使わなくていいからです。

 

そして、こうやって揃えた移動距離を「速度」と呼ぶようになりました。1分での距離は「分速」というように、1に合わせた時間がわかる名前をつけて呼びます。

 

レオくんの家の車の場合、1分で1/2キロ=0.5キロ。

つまり、分速0.5キロ。

 

しゅんくんの家の車は1分で2/3キロ≒0.67キロ。

つまり、分速約0.67キロ。

 

そして、速さはもう一つ便利なところがあります。

それは、時間の長さを変えた時、どれだけの距離を動くか、簡単に求められるのです。

 

例えば、1分で2キロ、みたいに分速を出しておけば、もしかかった時間が5分なら5倍なので、2×5=10キロ。10分なら10倍なので、2×10=20キロですよね。そう、分速の数字に時間の所の数字を掛け算すれば、進んだ距離になるのです。

 

速さ×時間=みちのり(距離)

 

というのは、速さと時間を掛け合わせ(?)たら距離になる、という魔法使いの呪文みたいなものではありません。

基準を

"1"分(か1時間か1秒)で進む距離

と決めたから、時間の数字がそのまま、基準の何倍か?を表しているよ。

この公式はそう言っているだけなのです。

 

何を基準にしているか?が大切です。

そう考えると、ほとんどの公式はただ当たり前のことを言っているだけの単純なものに見えるようになります。

 

理系科目で苦労する人としない人の分かれ目は、ただこれだけの事ではないかと思います。

 

 

文字には種類がある

基本的なことではありますが、意外と知らない子が多いのが、x,y,xやs,t,uなどの”文字”には2つの種類がある、という事です。

 

1つは、変化させていく予定の文字です。変数と呼びます。

例えば、

y=2xなどのxとyは

x=2なら、y=4

ですが

x=3なら、y=6、

x=-1なら、y=-2

etc...

というように、xとyは様々に変えるつもりで文字にしています。

 

それに対して、もう1つは変化しない予定の文字です。定数と呼び、数字の仲間だと考えます。

例えば、

y=axという書き方があります。

この書き方は、こんな場合に登場します。

y=2xかもしれないし、

y=3xかもしれないし、

y=-5xかもしれない、

という時です。

とりあえず、数字だと分かっている部分を文字で仮置きすれば仮の式が出来、式ができれば仮の計算が進められるので、y=axとします。

このaの正体は、まだ分かってはいないだけの数字でしかありません。

xやyが変化した時も、数字の部分なのでaは変わりません。

 

さらに、一番大事な事があります。ある文字が変数であるか定数であるかは、見ている人の捉え方でしかない、という事です。本人がどのパラメータを動かすと決めたか?によります。

 

ある所までは数字の仲間だと思ってながめていた文字を、ここからは様々に変化させてみよう!と考える事がよくあるのです。その場合、そこから先はその文字は変数扱いになります。

文字の捉え方の変更は、センター試験でも頻繁に問題に使われて来ました。しかし、そもそも違いそのものを知らない場合も多く、解けない子も多いです。

わからない、を受けとめる大切さ

勉強を教えていて、致命的に伸びない子達はほとんどの場合、とある特徴を持っている事に気がつきます。

 

それは、わかっていないという事を隠そうとすることです。

質問しないし、かといって考え込んでいるわけでもありません。

わからないところは?と聞いてもない!と答えます。

 

そうなった理由はわかりませんが、大人しく優しい子が多いです。

おそらくは、今までの人生は親や先生の顔色を伺って来ていてるのでしょう。説明してもらった後に、わからない、と言うと親や先生が困った顔をするのを見て、ああ隠さなきゃマズイ、と学習したんだと思います。人によっては、何でわからないんだ!と理不尽な怒りをぶつけられた事があるのかもしれません。

 

こう言う子は、わからない時にそれを理解しようとするより、わかったフリをしようとします。

その子たちは、なんとなく雰囲気だけ掴んだら、無意識に、もうわかった事にしてしまうのです。

そうすれば、その場は、親や先生が困った顔を引っ込めるからでしょう。

 

これはかなりマズイです。

 

物事の新しい捉え方・考え方を知った時、具体的なイメージはまだほとんど出来ていません。

 

 

具体例をイメージ→つじつまの確かめ→違いを発見→具体例の修正

 

というサイクルを何度も回してはじめて、使えるイメージに辿り着きます。

 

わからない、を隠す生徒はそれを一切しません。

最初に、あー、こうやればいいのかな、と思ったら、そのイメージを修正しないのです。

たとえ、その後どんなに間違っても。

 

そして最終的には、わかってないのが他人にバレてしまいます。本人はそれを避けようとしていたのに。何とも悲しいお話です。

 

また、こういう生徒がよくいう言葉が、”難しい”です。

それも、2、3問目のまだ簡単なエリアでこう言い出します。

自分が最初に持ったイメージが不十分だっただけで、実はそれを修正する良いタイミングなのです。

 

ところが、わからないを受け入れない子は最初に思いついた自分のイメージで解けない問題が現れると、問題の難易度が急に変わったのだ捉えているようです。

 

出来る子はここで一旦手を止め考え出します。自分がキチンとわかっていない事を自然と受け入れるからです。

 

先生に質問したり、いろんな具体例を思い浮かべて、イメージを修正しようとします。

 

これは、自分はまだ全てをわかっているわけではない。という基本姿勢の違いです。

 

今わかっている事は全てではない。

うまくいかない問題が出てきたら、イメージを修正し、より深く理解するチャンス!と捉えるのです。

 

そして、この事は、問題の丸つけの仕方にも現れます。

自分はまだ全部はわかっていない、思う子は、自分の知らない事を常に探しています。

問題を解いたら、その場で答え合わせをするのです。

そして、間違ったとき、自分のイメージをどう修正すれば良いかを考えます。これが一番大事です。

 

それに対して、わかっていない事を隠す子は1ページやりきってから、○か×をつけてすぐ次に行きます。

もしくは、間違った問題を書き写すだけです。

 

イメージを修正しません。

早く問題を”終わらせる”にはそうするのが一番だからです。

 

わからない事をわかるに変える、が勉強です。

何故そうなるのかわからない事を繰り返しても意味はありません。

基礎問題の演習は、イメージのほころびの発見、修正の為にやるのです。

終わらせるだけでは何の意味もありません。

 

自分が”わかっていない”ことをまず受けとめましょう。わかっていない事自体は何の問題もありません。

人間、全てのことを理解して生まれてくる訳ではありませんし、どこかに全てを理解している人がいるわけでもありません。

何かがわからないのは、わかる途中であるだけです。ごくごく自然な事なのです。

 

わかっていない、でもわかりたい。だから、具体的例まで戻って自分のイメージを修正する。

 

わかっていない事を普通の事だと受け止めれば、自然とこういう動きになっていきます。

今は未来で決まる!

時間の流れは過去から未来であり、

過去起こったことが未来を決める。

 

おそらくは、大抵の人はこう思っていると思います。

 

そして、大抵の事に関してはその通りです。

人間を除いて。

 

人間は、豊かな想像力を持っています。

その豊かな想像力でリアルな想像をする事ができる唯一の生物です。

それ故に、人間の今は未来によって決まるのです。

 

想像がリアル過ぎるが故に、です。

 

人間は自分が想像したリアルな未来を基準に、何をするかを無意識に決めてしまいます。もっと言えば、肉体が見たり聞いたり感じたりした情報の中で何をしっかりと認識するか、をも無意識に決めてしまいます。

つまり、何に気づくか、さえ未来が決めているのです。

 

 

あなたは、あなたがリアルだと感じる想像上の未来に今現在を左右されるのです。

人の認知の面白いところです。

 

 

さらに面白い事が起こります。

信じがたいことに、あなたは、なれると信じたものになるのです!

出来る様になると信じた事が出来る様になるのです!!

 

 

人間は、自分が信じるリアルな想像と違う状況にあったり、違う状況に進んでいくのを、無意識に嫌がります。

それを修正しようとしてしまうのです。

 

もし、自分はテストで高得点を取る様な人間だと本当に、心底、疑いなく信じていれば、テストの点が悪くなる様な行動を取ろうとすると、不思議と拒否感を感じます。

結果、テストの点は良くなります。

 

逆に、自分はバカだからテストの点なんて取れるはずがない、と心底信じてる人は、勉強しようとすると不思議な拒否感を感じます。

結果、テストはボロボロ。

 

どちらの場合も、リアルな想像と違うから、無意識に修正がかかるのです。

 

つまり、なにかを成し遂げたいと思えば、もっとも簡単で楽な方法は、自分なら成し遂げられると信じてしまう事なのです。

 

このために大事な事があります。

 

自分を信じられる事、つまり、自分の判断を信じられる事です。

 

 

じぶんの判断を信じていない人は、例え何かを成し遂げたい、成し遂げられそうだと感じても、イヤイヤ、絶対自分には出来るはずがない、と最初に思った事のリアルな逆想像をしてしまいます。これは、日々、じぶんの想像を否定され続けた結果、学習してしまったクセです。

そういう人は、その通り、成し遂げられない未来へとひた走っていきます。無意識に。

 

 

普段から、良いか悪いかの判断を、親や先生やまわりの人がどう感じるか、に置く人は、残念ながら自分の望みを叶える事はあまりありません。他人に判断を任せる事が、自分の考えを信じなくさせ、その人のパフォーマンスを大きく損なっているのです。

 

同じように、家や学校で、あなたが考えることはすべて間違っている!と言葉や態度で根深く植え付けられる事が、どれだけ子供達のパフォーマンスを落とす事になるか。

 

他人に、あなたは間違っていないと言われたいのは何故か。自分が間違っているかどうかは誰が決めるのが自然か。

 

じぶんの判断が信じられない人は、まず自分の気持ちを元に、良いか悪いかを決める訓練をしましょう。

 

もしあなたの周りに子供がいるなら、良いか悪いかを決めるのは子供自身だ、と態度で示しましょう。

 

想像の未来が今を決め、今が本当の未来を作るのです。

 

出来るようになると信じられれば、本当に自然と出来るようになります。見えるものや感じるものが、その方向に変わり、自然と行動をとるからです。

 

でも、出来るようになるはずがない、と信じている人は出来るようになりません。

 

勉強できる子は、自分はきっと出来るようになる、と思っているだけの普通の子です。

 

勉強できない子は、決して出来るようにはならない、と思っているだけの普通の子なのです。

 

参考文献 頭のゴミを捨てれば脳は一瞬で目覚める

基準の何倍か

突然ですが、四角形の面積がなぜ「たて」×「よこ」なのか知っていますか?

 

面積の"公式"として有名なこの式なのですが、残念ながら公式を、魔法の呪文のようにやみくもに暗記して使うものだと思う原因になっているように思えます。

 

実際にテストで面積を求める時は、公式を使ってとく方が簡単でミスもしにくく、その方がいいのです。

しかし、公式を魔法の呪文だと思っていることで、将来、式を扱う全ての科目が苦手になってしまいます。

公式は単に「基準とその何倍」を示しているだけで、忘れてもすぐ作れる。

この事実が納得できれば、公式なんて頑張って覚えなくてもいいんです。

 

長方形の面積の公式に話を戻します。

 

面積=たて×よこ 

をみて、最初は日本語として理解しようとする

人が大抵でしょう。

日本語に直してみると、

「面積はたてとよこを掛け合わせたもの。」

この日本語が実は大きな誤りなのです。

 

そもそも掛け算とはあるものを何倍かにするだけです。

たてという「長さ」に横という「長さ」をかける、なんて事は出来ません。そんな事そもそも出来ないんです!!

 

じゃあこの公式はなに?と思うかもしれません。むしろ、そう思う事こそ大事な一歩です。

 

この大事な疑問に答えるために、「基準を決める」という全ての土台となる大事な考え方の話をしましょう。

 

「形の決まっていない量を測る」とき、どうやって測りますか?

 

形の決まっていない量。1つは今日の目標である「面積」ですが、面積の前に、すこし単純にして「長さ」を測ろうと思います。

 

目の前に1つの縄があるとします。

これの長さを測るという事は世界中で昔から行われて来ました。

 

例えば、縄は1.5mだとします。

この1.5という数字は、世界中で同じなのでしょうか?どの時代でも変化なかったのでしょうか?

 

おそらく、皆さんは、長さには色々な単位がある事、日本でも昔はメートルではない単位が使われていた事をご存知だと思います。

 

そして、同じ長さでも、単位を変えれば違う数字になる事も。

 

ここで、ちょっと原始時代にタイムスリップしてみます。

 

 

ある村にとある漁師がいます。獲った魚が余ったので、漁で使う網を編むため、長い縄と交換してもらう事にしました。前回は棒10個分の長さでちょうど網を編めたので、今回もそうしようと思っています。自分の村できいてみると、棒10個分の縄を見せてくれました。

 

しかし、どうも前回魚と縄を交換したときのことが頭をよぎります。そのときはもっと長かったはず。今回のはやけに短い。

 

漁師は棒で縄の長さを測ってみました。しかし、10回測ったところでちょうど縄は終わりです。けれど、どう見ても前より短いのです。

 

 

なんか面白そう!と思った方は、ここでこのページを閉じて、理由をすこし考えてみてもいいでしょう。

 

 

 

 

さて、ここで大事なのは10という数はおなじでも、長さは違うという事です。

なぜでしょう。

答えは、棒の長さにあります。

実は、測る時に使った棒の長さ自体が違うのです。

 

 

羊やリンゴなど、形のあるものを数えるのは簡単です。形が決まっていない量を測る時には、基準を決め、それの何倍かで表します。そうすれば比べられます。しかし、その大事な大事な基準は、実は自由に決めることが出来てしまうのです。これを共通の基準にしよう!とみんなで合わせなければ、同じ数字でもバラバラの長さ、ということになってしまいます。

 

現代でもすこし前までは、メートル原器というという物の長さを基準にその2倍なら2m、3倍なら3mのように長さを決めていました。(最新は、より正確な光の進む距離を基準にしているようです)

 

だいぶ遠回りをしましたが、面積の公式に戻りましょう。

面積も、数える基準がないので基準を決めます。昔の人はたてもよこも長さの基準の1mになっている正方形を面積の基準にする事にしました。とても自然な決め方ですよね。この面積を1平方メートルと名付けました。

 

さて、たて2m、よこ1mの長方形があるとします。この面積は1平方メートルの何倍でしょう?

 

正方形が縦に2個分なので、2倍ですね。これは簡単に数えられます。2倍なので単位付きで呼べば、2平方メートルです。

 

縦が3m(3倍)、横が2m(2倍)なら、1平方メートルの正方形何個分(基準の何倍)でしょう。たて3個分の列が2列あるので、3×2=6個(6倍)です。

つまり、面積は6平方メートルです。

 

実は面積の公式は、縦横がそれぞれ基準の長さの何倍か?から、知りたい面積が基準の面積の何倍になるか?をかけざんで出しているだけで、暗記するまでもない当たり前の事です。

基準1平方メートルを、たて1m、よこ1mの正方形の面積と決めたからです。

 

そして、これは基準をメートル以外、例えばフィートなどにしてもおなじ、という事もすぐ納得できるでしょう。

たてよこの長さが基準の何倍か。それをもとにすると面積が基準の何倍かをどうやったら計算できるか。

こうやって考えてあげれば、公式なんて当たり前の事が書いてあるだけです。そして、万一忘れてもすぐ作ることが出来ます。

 

実は、高校までで習う数学や化学・物理などの公式は、大部分が基準の何倍かという当たり前な事柄を示しているだけです。

 

公式は、古来から伝わりし便利な魔法の呪文、ではありません。

当たり前のことが書いてあるだけの公式やその使い方をただただ丸暗記する勉強スタイルは今すぐやめましょう。

どんどん忘れていってしまうので、非常に効率の悪い方法です。

 

かわりに、基準は何か?を考えるようにしましょう。

当たり前の事は忘れにくいし、忘れても少し考えたらすぐ思い出せるので、すぐ忘れる人と確実に差がついていきます。

具体例の大切さ

小学校高学年や中学校で数学に困っている子の中には、数学の記号の意味がわかっていない子がいます。

 

そういう子は、数学の記号が日本語と同じ言葉のひとつだと気づいていないようです。

 

例えば、一緒に遊ぶ仲間がいたとします。そういう子達を”友達”と言います。

 

友達と遊ぶときに、アメを10個持って行ったとします。

もう1人の友達は5個持ってきました。

アメは合わせていくつでしょうか?

 

合わせて一つにする事を”足す”と言います。

難しい言い方で“加える”という言い方もあります。

今回のお話は、アメ10個にアメ5個を合わせたのですが、数学の言葉では

10+5

と書いて、

じゅうたすご

と読みます。

カッコよく英語風に、+をプラスと読んでもいいです。

その時は

10+5

じゅうプラスご

と読みます。

 

他にも、

5人の友達で、全員が同じ数の4個ずつ持ってきたとします。全員分を合わせるといくつになりますか?

 

同じ数をいくつも合わせる事を”かける”と言います。

4個を5人分合わせるので、

4×5

と書いて

よんかけるご

と読みます。

 

 

頭の中に、映像が浮かんでいるでしょうか?

いま、もう一度

10+5

を見て、アメを持ち寄る映像が湧きますか?

アメを持ち寄ったことが無い人は、他のものでも大丈夫です。1番しっくりくる例を思い浮かべて下さい。

 

人間はもともとは、自分が実際に体験した事しかうまく映像化出来ません。思い出すしか出来ないのです。

 

物語をたくさん読むと数学の理解力が変わります。

文字をよんで、自分の記憶の映像をアレンジしながら、書かれた場面を想像出来るようになります。

それでも、あくまで最初は記憶を元にアレンジするのです。

 

もし、あなたが理解力を高めたいなら、ありありと思い出せる体験を増やしてください。印象に残っている楽しい記憶・映像は、具体例を思い浮かべる時の元になってくれます。