知りたい!の源

京大卒の塾講師が感じた様々な事を書くブログ

わからない、を受けとめる大切さ

勉強を教えていて、致命的に伸びない子達はほとんどの場合、とある特徴を持っている事に気がつきます。

 

それは、わかっていないという事を隠そうとすることです。

質問しないし、かといって考え込んでいるわけでもありません。

わからないところは?と聞いてもない!と答えます。

 

そうなった理由はわかりませんが、大人しく優しい子が多いです。

おそらくは、今までの人生は親や先生の顔色を伺って来ていてるのでしょう。説明してもらった後に、わからない、と言うと親や先生が困った顔をするのを見て、ああ隠さなきゃマズイ、と学習したんだと思います。人によっては、何でわからないんだ!と理不尽な怒りをぶつけられた事があるのかもしれません。

 

こう言う子は、わからない時にそれを理解しようとするより、わかったフリをしようとします。

その子たちは、なんとなく雰囲気だけ掴んだら、無意識に、もうわかった事にしてしまうのです。

そうすれば、その場は、親や先生が困った顔を引っ込めるからでしょう。

 

これはかなりマズイです。

 

物事の新しい捉え方・考え方を知った時、具体的なイメージはまだほとんど出来ていません。

 

 

具体例をイメージ→つじつまの確かめ→違いを発見→具体例の修正

 

というサイクルを何度も回してはじめて、使えるイメージに辿り着きます。

 

わからない、を隠す生徒はそれを一切しません。

最初に、あー、こうやればいいのかな、と思ったら、そのイメージを修正しないのです。

たとえ、その後どんなに間違っても。

 

そして最終的には、わかってないのが他人にバレてしまいます。本人はそれを避けようとしていたのに。何とも悲しいお話です。

 

また、こういう生徒がよくいう言葉が、”難しい”です。

それも、2、3問目のまだ簡単なエリアでこう言い出します。

自分が最初に持ったイメージが不十分だっただけで、実はそれを修正する良いタイミングなのです。

 

ところが、わからないを受け入れない子は最初に思いついた自分のイメージで解けない問題が現れると、問題の難易度が急に変わったのだ捉えているようです。

 

出来る子はここで一旦手を止め考え出します。自分がキチンとわかっていない事を自然と受け入れるからです。

 

先生に質問したり、いろんな具体例を思い浮かべて、イメージを修正しようとします。

 

これは、自分はまだ全てをわかっているわけではない。という基本姿勢の違いです。

 

今わかっている事は全てではない。

うまくいかない問題が出てきたら、イメージを修正し、より深く理解するチャンス!と捉えるのです。

 

そして、この事は、問題の丸つけの仕方にも現れます。

自分はまだ全部はわかっていない、思う子は、自分の知らない事を常に探しています。

問題を解いたら、その場で答え合わせをするのです。

そして、間違ったとき、自分のイメージをどう修正すれば良いかを考えます。これが一番大事です。

 

それに対して、わかっていない事を隠す子は1ページやりきってから、○か×をつけてすぐ次に行きます。

もしくは、間違った問題を書き写すだけです。

 

イメージを修正しません。

早く問題を”終わらせる”にはそうするのが一番だからです。

 

わからない事をわかるに変える、が勉強です。

何故そうなるのかわからない事を繰り返しても意味はありません。

基礎問題の演習は、イメージのほころびの発見、修正の為にやるのです。

終わらせるだけでは何の意味もありません。

 

自分が”わかっていない”ことをまず受けとめましょう。わかっていない事自体は何の問題もありません。

人間、全てのことを理解して生まれてくる訳ではありませんし、どこかに全てを理解している人がいるわけでもありません。

何かがわからないのは、わかる途中であるだけです。ごくごく自然な事なのです。

 

わかっていない、でもわかりたい。だから、具体的例まで戻って自分のイメージを修正する。

 

わかっていない事を普通の事だと受け止めれば、自然とこういう動きになっていきます。