知りたい!の源

京大卒の塾講師が感じた様々な事を書くブログ

無板書のすゝめ

板書とは、黒板に書かれていることをノートに写すこと、という意味の言葉です。

 

これは、勉強の標準的な形と考えられています。

 

けれども、自分の経験に基づき、あえて忠告します。

 

板書はしない方が良い。

 

学ぶものが知識を残さないといけないのは、ノートの中ではなく、自分の頭の中です。

 

頭の中に残す最も効率の良い方法は、理解することです。

 

初めて出会った考え方や捉え方、表し方などは、理解するだけでも大変です。

 

授業中だけでは足らなくて、次の授業や部活中、帰りの電車や家に帰ってテレビを見ながら、ご飯を食べながら、お風呂に入りながら、布団に入りながらも、納得するまでフラッシュバックのように考え続ける事もよくあります。

 

そんな大変な時に、黒板をノートに写す、なんて、頭の中に絵や図を描くのを邪魔するような動作はするべきではありません。

 

ただし、筆記具を持つな、という意味ではありません。

先生の話で、自分の思いつかなかった事、つまり、後で自力でたどり着けなさそう点は、思い出すヒントを一言二言メモっておく事は大事です。

 

話言葉は消えてしまうからです。

 

ただ、メモする場所は、ノートではありません。

 

教科書または、自分がメインに使っている参考書の余白にメモります。

 

マーカーはあまり使いません。

 

そこしか目に入らず、それ以外のところを見えなくしてしまうからです。

 

それに、大事なところをどんどん塗っていくと、マーカーだらけになって結局意味がなくなります。

 

また、情報は可能な限り集約するべきです。

 

一つのことを思い出す時、同時に大事な情報も思い浮かぶ可能性が高くなります。

 

 

さらにひとつ忠告するならば、授業中に先生の話をずっと聞いているのも、あまりオススメしません。

 

教科書の中に知らない事が書いてあったら、その事を自分の記憶の中にある、知っている事とつなぎ合わせ、何が同じで何が違うかを見つけておく必要があります。

 

そのためには、その新しい抽象的な考えの、たくさんの具体例を映像として頭に思い浮かべる必要があるのです。

 

これが、理解するという作業です。

 

実は、先生の話を追いかけているだけでは理解はあまり出来ません。

 

人それぞれ、知識や経験として持っている映像が異なるからです。

 

例えば、中学で一次関数を習っているとします。

 

時間とともに量が一定のペースで変わっていくものは一次関数のひとつです。

 

と聞いて、真っ先に思い浮かんだものはなんですか?

 

それは、人それぞれ違うはずです。

 

先生は、子供の頃実家でお風呂のお湯を溜める係をしていて、お風呂を思い浮かべ、お風呂を使って説明するかもしれません。

 

しかし、あなたはそれが1番しっくりくるとは限らないのです。

 

先生のお風呂の話を聞いて、自分に浮かぶのは、金魚の水槽に水を入れ直すときの映像だな、とか。

 

水から離れて、近所の工事現場でみていた一定のペースで降りてくるクレーンの映像でもいいですし、時間からも離れて、右に行けば行くほど高くなって行くスロープの映像でもいいのです。

 

そして、その次に大事なのは、イメージの修正です。

 

例えば、一次関数には今述べたようなさまざまな実例がありますが、自分が思い浮かべた例と、一次関数の特徴が異なれば、それに合う別の例を思い浮かべなければいけません。

 

たとえば、時間は一定方向に進んでいきますが、一次関数の場合は、それぞれの変数の値が自在に変化します。

 

それを時間のまま考えるなら、早戻しや早送りの様なビデオ操作をしていたんだと、イメージを修正しないといけません。

 

スロープの例なら、ビデオだと思う必要はありません。右に行くのも左に行くのも自由です。

 

自分の思い浮かべた映像を少しづつ修正しながら、新しく教わった物にぴったりな映像に修正して行く。

ときには、最初の映像を全部捨てて全く別の映像に変えてもいい。

性質ごとに、映像を切り替えてもいい。

 

映像を思い浮かべることこそ、勉強です。

 

抽象的な事の具体例が映像として思い浮かべられるなら、その性質を納得して受け入れる事が出来ます。

 

そうやっていけば、最終的には具体例に頼らないでもその概念の性質に慣れ、自在に使いこなせる様になるのです。

 

 

板書しながら。

先生の謎の言葉を必死に聞きながら。

 

そんな事をしていて、適切な映像を思い浮かべる事に集中出来ますか?